http://Chapter 2
第二章
俺の物を「俺の物だ」と何故言えないのか
私有財産の管理
滞 米三十余年、ぼくが最も苦しい思いをしたのは、人に嫌な事を頼まれて、No と言いきる事と、自分の物を “It’s mine! (それ、ぼくんだヨ)” と、はっきり言う事だった。はっきり言う訓練を日本でさせられたのは、「ハイ」と「ゴメンナサイ」ぐらいだったのだから、無理も無い。
嫌な事でも頼まれれば、嫌だと言いかねて、引き受けてしまう人間は、日本に住んでいる限り、(仮に、お人好しだと笑われながらも)面倒は見てもらえるが、この国ではそうはいかない。
はっきり言ってしまえば、「ハイ」と「ゴメンナサイ」をそう簡単に言ってはいけない所なのである、ここは。
日 本に「俺の物が無かった」と言うと、妙に取られるかもしれないが、ぼくの住んでいた終戦直後の日本には、純粋に自分だけの物と言えるのは、日記と身分証明 書。それに下着と歯ブラシぐらいの物で、後は、親、兄弟と共有しなければならない物。或いは図書館から借りてきた本の様に、公共のもの。「俺の物」と言っ て良いのは、ぼくの膝下にある期間中だけの事で、何時かは、ぼくの手を離れていく物ばかりであった。
確 かに日本は裕福になった。目をみはるほどに変わってしまった日本の日常生活を、古いぼくの経験を基にして、判断するのは暴挙に過ぎるかもしれないが、日本 の心情生活と社会機構を支える価値観念に、私有財産なる物を歓迎しない事に関しては、案外変っていないのではないだろうか。
少なくとも、昭和四十年以前の日本ではそうだった。
ぼくの云う、私有財産と言うのは、文字どうり個人の私有物、「俺の物」で、歯ブラシみたいに、人と共有しなくとも良い物、更に云えば、自分以外の者が、使用しないように、管理しなければならない物の事を云う。
例えば私宅であるが、「狭いながらも楽しい我が家」とは、云いながら、実状は社宅であったり、借り家であったりで、其の証拠に、人に売ってしまう訳にはいかないものである。
更 に家計であるが、最近の日本の事を云う資格は無くなったから、仮に戦前の時代を例に取らせて頂けるならば、農業、商業、月給取りなど収入源の違いは在って も、個人の収入が他の家族員の収入と一緒に、ドンブリ勘定の中に収められる事では変り無く、台所が(収入の無い家族員を含めて)全員の口をマカナウと言う のが、典型的な体系であった。
そういう家庭では、ぼくが稼いできた金が「俺のもの」であるのは、それを受領してから、家令に手渡す迄の間だけでしかなく、後は家族全員(或いは共同体)のものであると考えられる。
「家」と言う、血縁者による共同体の性格は、日本では「国家」と言う規模の中にすら反映され、「国益は、即ち、公共を潤し、国民の私益は、公共に準ずるべし」と言う、画一的な思想、或いは政策が促進された。
例 えば、「国家」、或いは共同体を「ふね」に喩えるならば、個人はその乗組員で、好むと好まざるとに関わらず、他の乗組員と、其の行動と利益を共にしなけれ ばならないから、その結果、「寄らば大樹の蔭」と言う言葉と同じく、共同体なる物は大きければ大きいほど良く、「大船に乗る」事の重要性を強張する価値観 念が、(偶然か作為だったのか知らないが)出来あがった。
今でこそ、JRの新設が示すとうり、革新的な変換が起こりつつあるようだが、ぼくの住んでいた日本では、まだまだ、国鉄は私鉄に、国立(公立)大学は私立大学に、国営の事業は私営の事業に優先すると言う序列の観念が在った。
「俺 の物は俺の物。おまえの物も俺の物」と言う考え方は、貪欲、無礼な態度であるから、何処の文化(カルチャー) にあっても非難されるが、日本の場合は、特に、「俺の物はおまえの物」で、無ければならない故に、わるいのであって、「お前の物は俺の物」の方は、あまり 問題にされない。
そういう不文律のある日本の社会では、此れは俺の物(だから立ち入り禁止だ)と言う言 動はヒンシュクを買う。一旦ドンブリの中に入れた金は、もはや公共の物であり、其の使用に当たっての發言権は在っても、ドンブリの中に仕切りを作っ て、”Don’t touch my money” と、云う事は許されない。
そればかりではなく、仮にドンブリの中に入れなかった、正真正銘の「俺の金」が在ったとしても、それを、なるべく、見せびらかさないように、ポケットに仕舞っておかなければならないと言う、身だしなみすら躾けられていた。
一 方、アメリカの場合であるが、この国に生まれ、育つ者が、如何に「俺のもの」を尊び、誇り、大切に管理するかと言う事では、日本とは雲泥の差がある。もっ とも、此れは、私有財産と言うものの、歴史的発祥と、其の取り扱いの方法に、根本的な違いが在ったからこそなのでは在るが。
周 知のとうり、アメリカが新大陸だったと言うのは、同時代の西洋人の 感覚(パーセプション) であり、後にインデアンと呼ばれる羽目になった原住民から見れば、其処は先祖伝来の古い土地。其処に移民と称して侵入してきたヨーロッパ人が金と、火器 と、政治力で、其の(土地の)権利を我が物にしてしまったのであるから、全く(インデアンにすれば)迷惑な話ではある。
今、其の是非を、云々仕様と言うのではない。
要は、そういう歴史観も、加害者意識も持ちあわせていなかった、西洋の出稼ぎ人にとっては、そこは、自由を象徴する「新世界」、無尽蔵の可能性を約束する「ユートピア」(現実はそういう理想境を謳う必要性の在った、政治的、商業的なプロパガンダ)だったと言う事である。
政 府は未開地の開墾を奨励、土地の分譲に当たって、早い者勝ちの方法を使った。この風景は良く西部劇もののエピソードにも紹介されて、知られているが、規定 に従って仕切られた分譲地を前にして、キャラバンを連ねて、移住してきた開拓者の大群が、徒競走のスタートよろしく一列に並び、銃声の合図と共に、馬車、 馬、徒歩を飛ばして、自分の気に入った土地の一郭を選び、其処を「俺のもの」として、不動産の権利をクレイムできたと言う歴史がある。
も ちろん苦しいのはそれからである。着の身着のままの一文無しが、頑強な意志の力と、血の汗を流して、「俺のもの」にした土地であるから、日本の様に、お上 の土地、御領主の土地、御先祖様の土地を、天下り式に与えられた訳ではないのだから、「俺のもの」に対する、絶対的なプライドと愛着心を持っていたのは当 然だった。
私有財産と言うものの価値の概念が、日本とこの国とでは、根本的な違いが出来上がったのは当然であろう。
さ て、一度、俺ものにした土地は、自分で管理しなければならない。他人が腕力や権力を使用して侵略してきて当然なのだから、自分の所有地、財産の全貌を明白 に表示する事、隣人の物との間には、鉄線を敷いてでも、一寸一分の狂いも無く、正確に境界を定める事、更に、侵略者が在れば、腕力を行使してでも、自分の 私有財産を防備する事の正当性が不文律化された所為である。
余談ながら、アメリカでは何処の州でも、拳 銃、鉄砲など火器の所持を許しているのはそのような歴史的背景が在っての事である。そういう歴史が、僅か一、二世紀前まであり、似たような状態が、今、尚 続いているとも言える国柄である。「俺のもの」と「人のもの」、そして「公共のもの」の区別ははっきりしており、決して混同されない。
「俺 のもの」がどれで、何処に在るかを、常にはっきり弁え、ここは(或いは、此れは)俺のものだから、立ち入り禁止だと、(正々堂々)と言えなければならない のである。それが出来ない者、言えないものは、やがては自分の物を失ってしまうのだから、この国では 落伍者(ルーザー) のレッテルを貼られてケイベツされる。
敢えて言うならば、自他の財産の違いの分別を、身を持って守ってみせる事が、とりもなおさず、身嗜みの一つとはなり、日常生活における、エチケットの第一歩となるのである。
「国家」、或いは共同体を「船」に喩えた前述の喩話を、今一度引用して、今度はアメリカの場合に当てはめて考えてみよう。
先 ず個人である。この国では、日本とは異なり、「個人」もまた、単独の船なのである。これらの単独の船が、寄って集まって、牽引しているのが、「共同体」と 定められた、個人の船よりは大船では在るが、とりもなおさず、一隻の船なのである。 だから、仮に共同体と定められた船に、穴が空いて、沈むような事が在っても、(ロープさえ切ってしまえば)個人の船は沈まずにすむのである。かって、日本 人が経験、或いは押し付けられた「一億総玉砕」と言うプロパガンダが暗示する悲壮感が理解されない筈なのである。
「国 体」は書いて字の如く「合衆(州)国 - United States」 で、民間の私有財産並びに、企業が公共のコミユーンを(経済的に)支えている訳であるから、「国」は「州」の共同体、同じ理屈で、「州」は「市」と 「郡(county)」 の共同体なのだから、個人の利潤(若しくは、金もうけをする権利)を無視する、国政、州政、市政があるはずが無い。個人が裕福になれば、「風が吹けば桶屋 が儲かる」の喩より、遥かに確実性を持って、国が裕福になるのである。
そういう歴史的背景を持つ、経済的機構なのだから、個人は私有財産がある限り、おカミのお世話になっていると言う意識、或いは、(ぼくの年代の日本人ならば、かって、耳にしてきた)七生報国の感覚など、持ちあわせていない。
連邦国営の専売企業は特殊なサービス業(例えば郵便業- Postal Services)と、金融機関)に限られ、政府の所得は其の大小に関わらず、各州の分担金、民間の企業体と個人の所得税であるから、国を支えているのは、この俺だという見識すら持っている。
当然、国家的な権力に挑戦すると言う、反骨精神が伝統的な価値をもたらせる次第である。
こ こで、一般家庭の場合を考えてみよう。日本と同じく、どんぶり勘定になっている、家族共同の物は確かに在る。しかし、ドンブリの中に入れない、家族員それ ぞれの所持品(金)は、はっきり区別されているから、夫婦だから、親子だからと言う理由で、お互いが相手の物を、自由にする事は許されない。
も ちろん、例外となる、家族だってある。この国は人種の 坩堝(ルツボ) と言われるように、千差万別の文化(カルチャー) の持ち寄りであるから、日本と比較するに当たって、ごく平均的な例、或いは、本質的にかく在るべしであるというタテマエを基にして、話を続けさせてもら う。
こんな話がある。ぼくの上の息子が、十四歳ぐらいの頃、母親の花瓶を過って割ってしまった事があ る。花瓶は息子の母親の物で、親子の間とは言え、息子が勝手にしてすむ物ではないのである。母親は当然の様に弁償を要求、息子は半年がかりで、自分のこず かいと、アルバイトの収入を基にして、全額を返済した。
ぼくは激昂した。母親の気持ちが分からなかったからである。しかし、幸か不幸か、ぼくは息子が三才の時、彼の母親と離婚したので、その件に関して、彼女と対決する事は出来なかった。
内輪話しの披露に当たって、説明して置くべきことなのだが、実は先妻は白系のアメリカ市民、ソ連から避難してきた、ロシア系ユダヤ人の末裔であった。そう言ってしまえば、あなたは、「なるほど、さもありなん」と合点されるかもしれないが、いま少し待って頂きたい。
ぼくらの結婚生活に破綻が起こった理由のひとつは、確かに、価値、観念の違い、特に子供の躾の違いから始まる口論に、起因している。しかし、今思えば、原因となった口論は、必ずしも先方だけが悪かったのではない。
非 は、日本の外には外なりに、違ったものの考え方が在るという、現実に無知であったぼくの方に在り、今更ながら、如何ともし難いが、先妻の名誉の為、自分の 物を俺の物として、主張する事の正当性が、「家」という最も基本的な共同体の中でも、守られるために、この国に住む人たちが、如何に厳しい育児をするか紹 介しよう。
「俺のもの」を主張する事が正当化されるのであれば、育児の目的は、当然、自主性の確立であ る。幼児が物心の付かぬうちから、日本人には考えられないほど、厳しい躾が行われる次第である。頑是無い赤ん坊が間違いを犯すのは、当たり前の事で、親が いちいちそんな事で、子供を折檻するのは「非情」ではないかと、考えるのは日本人で、此方の家庭には通用しない。
ぼくの経験を、今、一つ、一つ、例に挙げるのは、さすがにムネの痛む事なので、偶々、目撃した他人の話が在るので、自分の物は自分で守り、人を頼りにしないようにする為に、母親達が、どんな育児の仕方をするものか、参考の為に紹介してみる。
ぼくの大学のオフイスにアロビックを担当する女性が一人いた。最近は日本でも知られてきたようだが、彼女は Single Mother 「未婚の母」 で、当時、五歳になるお嬢さんを連れて、登校する事が在った。
あ る日、その子のお人形を、誰かに貸して返してもらえないと、泣きながら、母親のオフイスに入ってきた。日本なら、直ぐ母親が飛び出していって、取返して来 る所であろう。ぼくも、彼女がそうするだろうと思い、何と言う事も無く、親娘の会話を聴いていたのであるが、なんと、その母親が、子供に向かって、諄諄と 諭している所によると、「人形はお前のものであって、お母さんのものではない。自分のものを人に取られて、泣いて逃げてきたり、お母さんに取返してもらお うと考えるのは間違いである。もう一度いって、自分でハッキリ と、言ってご覧なさい。それが出来たら、必ず返してもらえるのだから」
全く、母親の言ったとうりだった。もちろん、その間、母親はドアの前に立って、娘と相手の対決の一部始終を観察はしていたが、一言の介入もしなかったのにもかかわらず、お嬢さんは自分のお人形を、見事に自分の力で、この場合、口と勇気で取り戻してきた次第である。
自 分のものは自分で取り返さなければ、母親ですら、助っ人に来てくれないと言う、現実は、日本人なら、ゾッとする事情では在るが、この国で生活しなければな らない子供を育てるには、まず、「自主性」或いは「独立心」と言うものを、そういう具体的な形で、教え込まなければならないと言う事なのである。
自 分のものを自覚して、しっかり監視し、ポリスできると言う事は、実は日本人が考えるよりも、重要な事なのである。それは、自分のものと、そうでない物との 識別が出来る事、自分の物でないもの、「人のもの」「公共のもの」の所有者を尊重して、それを、いたずらに私物化しないと言う訓練を受ける過程を、経なけ ればならないのだから、仮に、過失であっても、自分のものでない物を「破損」した場合、その過ちに「責任」を取る事の必然性が強調される。
ぼくの先妻が、息子の割ってしまった、花瓶の弁償を要求したのは、実はそういう背景があっての事で、彼女は彼女の信念にしたがって、息子の教育をしていた訳である。
彼女と息子との間には、ぼくの全く知らなかった、対談が在った筈である。それは、俺のものを、俺のものとはっきり言える、自主性の確立は、自分以外のものが言う「俺のもの」を尊重すると言う責任感を養成して初めて出来る認識であると言う教訓であっただろう。
このエピソードに関しては、息子がこの国に住まなければならない限り、先妻の訓えの方が正しい。所有する事の「権利」を確保するに当たって、他人の権利を侵害した場合の「責任」を取る事のキビシサという重要な相互関係を理解できてなかったぼくの認識不足だった。
例のアロビックの先生の娘の様な訓練を受けていれば、しなくともすんだ、間違いが山ほど在った次第である。此れは笑い話みたいで、それほど苦痛ではないので、ぼく自身の失敗談をもうひとつ披露してみよう。
来 米後二年、スポンサーから独立して、自分の道場を自分で経営する事になった時の事である。道場生の中から会計係を二人選んで、会員から徴収した会費の取り 扱いを任せたまでは良かったのだが、会計係のサイン無しでは銀行の小切手を発行する事も、預金を下ろす事も出来ないように、(もちろん、ぼく自身の発案 で)した訳である。
道場は株式会社でも、法人でもなく、文字どうり、ぼくの個人経営だったのだから、会 計に選ばれた会員は、何故、小切手のサインまでまかされたのか、(後の話であるが)理解に苦しんだそうである。それはそうであろう。月謝の収入は、所得税 と営業税、そして維持費を支払った残りは全てぼく個人の物で、それを何に使おうと、ぼくの勝手になる金だったのだから、いくら会員だからと言って、他人の サイン無しでは、自分の金も使えないようにしたぼくは、少し可笑しいのではないかと、思われても仕方が無かった。
一 方、ぼくの方には、「ガラス張りの経理」をしなければならないと言う、気持ちが在ったから、月月の会費の集計、出費に到っては、私事の買い物に到るまで、 いっさい公開した物だ。「俺の物を」を持った事の無かったぼくは、自分の物を管理すると言う、基本的な感覚すらおぼつかしいほど、ナイーブな経営者だった 訳だが、西も東も分からない国で、ポケットに隠しきれない、財産が出来てしまったのでは、勝手の分かる現地人に頼る他、無かったのである。
日 本で人に頼る時の絶対条件は、「いっさいお任せします」、と言う姿勢を正して、相手を信用して見せる事であろう。だから、ぼくには、ぼくなりに、カラテの 道場を経営するに当たって、ぼくが如何に私欲を無視しているかと言う、潔白な態度を会員に知ってもらい、会計係には金銭の取り扱いの全権を与える事によっ て、如何にぼくが彼らを信用しているかを知ってもらうと言う、計算をしていたのである。
しかし、経営の方針の誠実さと言う概念に、根本的な相違のある社会で、ぼくがどれほど、(日本式に)潔癖を装うとしても、そう言う態度に、一銭も価値の無い所で、装えば、それはまさに白痴的行為で、アホカイナと思われて当然だった。
幸運にも選んだ会計係が、文字どうり正直な連中だったので、難を免れたが、人が人ならば、有り金一切、持ち逃げされてしまっても、文句は言えなかったのだ。
「日本人は二枚舌を使う」と、言う批判を、西洋人がする事が在るが、実はぼくみたいな行いを、彼らの価値概念に当てはめて、誤解すると、そう言う結果になるのだ。
日 本では(仮に少し位、きがかりであっても)、人を信用して見せる事が、取りも直さず正しい行いなのであるから、思い切って、大事な秘密を打ち明けたり、大 金を見せたりする事で、人の道を飾り、連帯の結束を結ぶと言うような事をする。もちろん、漏らした秘密が基で、破滅を招く事、大金を持ち逃げされる事の危 険は承知の上である。だから猫にカツオブシをみせる行いとは違いがあると考える。人はあくまでも人で、ネコ(畜生)では無いのだから、人の信用を裏切れ ば、裏切った方に非が在ると納得すると言う、裁量が出来ている。
しかし、人は本質的に、罪深いものと考 える、ジュウデオ クリスチャン モスレム に言わせれば、それは全くネコにカツオブシを見せる行いで、カツオブシを見せる方が悪いと考える。秘密は漏らさず、大金はキンコの中に入れて、人の目に触 れないように気を配るのが心有る成人の行いだと考えるのである。
だから、ぼくみたいに八方破れ式な人の信用の仕方をすると、カツオブシを使って、ネコをからかっているのではないかと、勘ぐられる次第となる訳である。
今 一つ。日本にだって、立派な商取引の歴史が在るから、ぼくだって、利益を蔑ろに出来る商売が成り立たない事ぐらい知っている。ぼくが言いたいのは、あくま でもタテマエであり、自分の口を賄う程の収入が在れば充分で、キヤデラックを乗り回すような身に成る積もりはさらさら無いと言う、(日本の総理大臣だって 言う)就任の所信を、身を持って証明しようとした積もりだったのだ。しかし、異郷ではそれが偽善的な行為に取られたり、日本人は狡猾だと言う、印象を与え る事だって在る訳である。
罪を潔く自認すると言う行為、或はそういう態度を「作法」と呼び、日本人の場 合、美徳にすら成る事が在った。「俎上の鯉」の俗語をヒロイズムの意に利用したゼネレイションも在った。だからと言って、同じ事を、日本以外の土地で、非 日本人にして、はたして、許してもらえるかどうかは疑問なのである。
もちろん、西洋、米国でも罪の自認が行われる。しかし、それは、特殊な環境の中で行われる事が多く、次元の異なる日常生活や公けの場で、うっかり「ゴメンナサイ」と言ってしまうと、人に迷惑を掛けたり、時には自己の破滅を招く事にもなり兼ねないのである。
成 るほど、ぼくの場合、例の御主人と対決した時は謝ってすんだ。何度も繰り返すようだが、それは相手が日本人だったからで、相手が日本人でなければ、まず、 そんな対決は無かっただろうし、第一、謝る種類の問題ではなかったのだから、謝る事によって、問題はむしろ深刻になったかもしれないのだ。
責任の所在を確認もしないで、まず謝って、身の潔白を示そうとして「ゴメンナサイ」と謝ってしまった為、取る必要も無かった、責任を取らされた日本人の話が、海外における失敗談として、最近、色々紹介されている。
車の保険会社が、交通事故に当たって、日本人が咄嗟に示す、謝罪の礼に、注意を促したと言うのもその一例であるが、ぼくにも、似たような失敗がたくさん在る。さすがに、人
に御披露 出来る種類の物ではないから、既に公開された例を、マゴビキで利用させて頂く。
未 だドイツが東西に分裂していた頃、西ドイツの新聞に出た話として、ある日本の留学生が図書館の本を破って、破ったページを外に持ち出した為に、強制送還に なったと言う話がある。イザヤ ベンダサン著の「日本人とユダヤ人」に紹介されたエピソードだが、あまりにも身につまされる例である。
閉 館の時間が切迫してきて、借り出しは禁止されている参考書のページをつい破いて、持って出たのがバレたのだろう。公共、或は人の物を勝手に破損したり、自 分の物にする事が、西洋人の社会で如何、解釈されるかと言う事を知らなかったと言う、留学生君の認識不足は、後々弁護させてもらう事にしても、致命傷は、 やはり、ゴメンナサイと謝る作法が、図書館の本のページを破いて、無断で持ち出す行いに優先すると錯覚した事であろう。
西洋では、謝罪は罪の自認である。罪の自認は贖罪によって始末をつけられるから、西ドイツの刑法に則って、彼は強制送還の処置を受けた。本人は(日本人の)教えを守って、謝る事によって、我が身の潔白?を証明しようと言う積もりだったのではないか。
西 洋の社会で生まれ育った者ならば、図書館の参考書を破る時、その行いの意味する所を知っているから、どうしてもそんな事をしなければならないのならば、犯 罪者の心理となって破る筈である。つまり、バレルような下手な盗み方はしないと言う事だ。留学生君は罪の意識があまり無かったから(公共の物は俺の物と考 える社会で育ってきたから)悪いとは知りながら、案外軽い気持ちで破いたので、ハッキリと他人の所持品だと分かる、サイフやカバンの中の物ならば、そんな 真似は絶対にしなかった筈である。
ぼくの失敗も似たような物である。罪の償いは土下座して泣いて謝れ ば、せめて周囲のものが庇ってくれて、その罪すら御破算になりかねない精神的土壌で育ってきた為、本当の(といっては悪ければ)西洋の意味での贖罪の厳し さを知らず、自分の罪を認めて、すすんで、責任を取ろうとした事が在った。結果は惨めだった。あんな苦しい思いをしなければならないのが分かっていたら、 初めから万策尽きても、罪を認めるべきではなかったのである。
此方で育った物は、(息子の花瓶ではないが)責任を取る事の苦しさを、子供の頃から、身を持って味わいながら育ってきているから、仮に失敗しても、証拠を突きつけられて、絶体絶命になっても、自分の非を認めない事が在るほど徹底している。
責 任を取る事の重要性と、その根本的精神を植え付けられたものが、必死になって罪を否認するのは、矛盾しているかもしれないが、それが当然なのである。「俎 上の鯉」を美徳の象徴とすらする日本人が、「弁解がましい」「卑劣だ」「見苦しい」と言う表現を使って、批判するべき事ではない。裏を返せば責任観念と言 うものは、そういうものなのであって、常に責任の所在を明らかにしておく事、要求する事、時には嘘を付いてでも、責任を回避する態度が正当化される。
人から責任を追糾された場合、追糾されたその行為は、そうならざるを得なかった事情が在る訳で、それを突き詰めていけば、当然第三者の行為も関係している事もあるのだから、その人たちに、責任を転嫁できる訳で、必要ならば、自分は被害者だったと言う事も出来るのだ。
路にバナナの皮が落ちていて、それを踏んで、滑って、ひっくり返って、ケガをした人があれば、怪我をした方が悪いと考えるのは必ずしも正しくなく、其処にバナナの皮を落とした人の所為だとも解釈でき、怪我をした人が、その人を、傷害賠償で訴訟できるかもしれないのである。
貴 方の権利もまた、貴方の私有物である。貴方の好きなように主張して当然でしょう。私有財産を歓迎しない日本には本当の意味での「権利」が主張できるかどう か疑問では有るが、そう言う背景で育ったぼくがアメリカ人のライフ スタイルを身に付けるに当たって、「見かけ」を解明して、その「本質」の方を把握できなかったのが、ぼくの不幸でありました。
プロローグ 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 エピローグ
*******************************************************************************
Prologue Chapter 1 Chapter 2 Chapter 3 Chapter 4 Chapter 5 Chapter 6 Epilogue