Chapter 4

第四章

 

思想家、哲学者の「神」

 個人主義とデモクラシー

 

 

  ネッサンス、イギリスの産業革命、フランスの政治革命、等々、文化的新体験を経て、西洋の思想界でも人間の価値の再認識がカント、ヘーゲル、ニーチェなど卓越した哲学者が輩出して行われるが、相対的に当然起こって然るべき神の存在と言う事になると、何か奥歯に物が挟まったような解釈となり、すっきりしない。

 先ずドイツ理想主義哲学の草分けとも云われるカントである。「神の存在証明」を幾つか分類して批判した結果、其のいずれも論証されないと言いながらも、神の非存在を合理的に証明する事も不可能であると言う結論で終わってしまう。

 ヘーゲルの弁証法は難解で、今もってぼくには手が出ないが、過去の(或は聖書的な)人間像であった「理性的な人間観」と近世的な人間像となる「感情的な人間観」の両者の根底に、(新しい)意志的、努力的な「行動的人間」の概念が有ると言う考え方は、ドイツ理想主義哲学の本幹なのだそうであるが、ぼくが不思議に思うのは、ヘーゲルは終生、真摯なクリスチャンで知られる人で、神の存在を心から信じていたらしいと言う事である。

 絶対的な創造者である唯一神を信じる人が、なぜ、非創造者である人間の行動的(或は自発的)行為が可能であると考えたのであろう。

 ニーチェとなるともっと極端である。ニーチェは「神は死んだ」と言うキヤッチ フレーズを使った人でOVERMAN(超人)と言う理念を考案した哲学者であり、作家であるが、其の人間観は非常に動的、開放的、そして誇示的で、日本人が信条とする、静的、内向的、自制的な人間像と全く対照的である。

偶然かもしれないが、ニーチェもまた大変厳格なクリスチャンの家庭で育った人である。六歳の時、死別したとは云え、父親はルター派教会の牧師、母親も隣村の教会の牧師の娘で、父親亡き後、母親と父方の祖母、一生を独身で過した二人の叔母と姉と言う女ばかりの手で育てられたと言う。

 そういう宗教的、女性的な家庭で育った、ニーチェが音楽家のワグナーを愛し、絶対的、男性的、行動的な人間を理想化したと言うのはなかなか暗示的である。

 ぼくが考えるには、ニーチェの神格否定はそういうプロテスタント的教育を受けて、自己の人格を形式化する過程で起こった反動みたいなもので、OVERMAN と言うのは実は神格を自覚の中に移入した理想像だったのではあるまいか。

 此れは人間の自覚の確立を神格にまで引き上げようとしたものであるから、無神論ではない。神の投影が、自分の中に有ると言う事は、取りも直さず、神と我との立場が入れ替わっただけの事だから、やはり、汎神論である。

 そういう意味ではヘーゲルも同じで、ぼくの感じでは、西洋の王権と言うものは、神格を模倣したもので、絶対的な権利の行使が、王政、教会の名前で正当化されてきたのではないかと思う次第である。

 日本の歴史にはそれほど徹底的に権力をABUSE したという独裁的君主はちょっと思い付かない。なるほど、日本にも西洋と同じく、封建制度(と称する)時代が有り、MONARCHY と言う制度に当てはまる君主制も有った。しかし、此れは、歴史家が日本史を西洋史と比較相対的にスタンダダイズ仕様とするからそうなるので、史観をステレオタイプにした為に生じた問題(類似)である。

 例えば西洋でのEMPEROR や KING を日本史に求めて、天皇家に当て嵌めた場合、日本の政治体制の特殊性の説明抜きでは誤解される。ご存知の様に、日本の歴代の天皇家で腕力も権力も金力も有ると言う、西洋のEMPEROR や KING 的性格を備えた天皇が果たしていただろうか。

 日本の天皇家は西洋で云うならば、むしろ教会みたいなもので、祭祀者。行政の実権は幕府の方に有った。

 それは詰まり、唯一神の様に絶対的な力を行使できると言う神格が、日本人の価値観念の中に無かったからで、明治維新と言うRESTORATION が、西洋に起こった体制革命と同じ様に、近代化に貢献したと言う矛盾を見ても分かる。

 いわば、死ぬ思いで、飢餓に絶えている人と何かおやつが欲しいなと思う人との違いみたいなもので、日本人は西洋人がどれほど民主主義(デモクラシー)と言う社会制度に飢えていたのか知らなかったほど、平和な体制の中に住んでいたのではなかったか。

 もちろん日本にも悪政は有り、搾取は有った。それも、しかしは相対的な問題で、日本人特有な、人の心を善と解釈する倫理観が過去、現在に到るまで、西洋、中近東では日常茶番事であった、異人種、異教徒、或は階級闘争による大殺戮と言う人災を阻止して来たのでなかろうか。

 さて西洋の場合、近代にはいって重商工業時代と言う経済機構を背景に、貴族の支配からの解放、そして教会のHIERACHY からの解放によって、個人の自由と言う、権利を手に入れたのだが、其の権利を持つと言う事を正当化できたのは、個人の主観が神格を代弁できると信じたからだと思う。

教会は数世紀に渡って、形式化、政治化してしまっていたのだから、教会に対する一般の不信は教会からの離反となり、自己を神の教会とする所までに到ったのだろう。

 

 

 英国の劇作家、ジヨン オズボーンは 「怒れる若者たち(Angry Young Men)」 の代表的作家として、日本でも知られているが、彼の処女作 「Look Back in Anger (怒りを込めて振り返れ」 に、教会の鐘が、ジム ポーターの怒りの対象として取り扱われている。

 

 外で教会の鐘が鳴り始める。

 

ジミー    畜生、又始めやがったな。

 

 窓の所にとんで行く。

 

ジミー    しまっちまえ、そんな鐘なんか。   鳴らすのはやめろ。こっちは、ここで頭が変  になりかねてるんだ。鐘の音なんかききたくないんだ。

 

(青木範夫訳「怒りをこめてふりかえれ」原書房 41頁

 

 教会はジム ポーターの様な若者を無神論者的行為として、糾弾するかもしれないが、個人の絶対的価値を正当化する為に、神が個人のプライバシーである自覚に律する事になるから、神は実存している。

 

   

 日本には中国から習った、(或は借用した)「中庸」「中正」と言う価値がある。自、他の主張の最大公約数を測定して、客観的に価値のバランスを位置ずける態度であるが、個人主義の世界では「主観を」絶対視するから、中庸の価値は高く評価されない。

 日本の政治家の所感の挨拶みたいに、物事を鳥瞰図式に見たような挨拶をすると、主観の無い物と判断されて、無視される。

 個人主義の原理は自己性とプライバシーに価値を求めた考えで、価値の評価は個人の主張を持って判断される。そういう社会では主観と主観との主張が対決する場が常に出来るから、主観の違うものでも共存できるように、そして各自の主観を公平な立場で、他の主観に対抗する権利を施行する機会と場を造る為に、自由競争と言う機会均等のグランド ルールが造られる。それがデモクラシーの発想である。

 それは、俺の主観、お前の主観、あいつの主観の最小公倍数を測定して、それを三人の主観の権利を尊重した形にする考え方である。

 三人の男女が、同じ屋根の下に済まなければならにとする。ランチ にサンドイッチ一つ作るのに、ひとりはマヨネーズを嫌い、ひとりはライ パンと七面鳥の薫製が無ければならず、ひとりは何でも食べるが、沢山量が無ければならないのである。

 其の三人が食卓に会してランチを一緒にするに当たって、自分が嫌いなものを押し付けられないよう、はっきり発言するのが、自己主張であり、其の態度、或は行いが、他の二人から無常件に歓迎されると言う、基本的なルールがデモクラシーと呼ばれる体系によって保証される。

 重要な事は、このルールが守られる為に、冷蔵庫の中に、いつも、ヨーグルトや七面鳥の薫製と言う、サンドイッチの材料が保管されてあると言う経済的な背景と、人の精神的な余裕と時間を費やした労力が消費されうる事が許されると言う、代償が払われなければ成らないのだ。

 たかだか三人の食生活を豊かにするだけの事ではないのである。実は其の努力が取りも直さずアメリカの文化を支えているのである。アメリカの代名詞になっている「人種のルツボ」のとうり、文化の多趣多様性による「主観」の違う個人、団体が共存していかなければならないお国柄である。日本人にはとても理解できないほど、「供給」の必要性が説かれる。

 機会均等と自由を謳う「理想」ゆえである。

日本にも紹介されてご存知のとうり、学校教育、宗教、人種、性生活の問題は、日本人が想像する以上に、複雑な背景が有ってのことである。

 今ここで、アメリカの社会問題を取り上げる積もりはない。ぼくが問題にしたいのは、其のデモクラシーと言う体系を支えている主権尊重の、個人主義、自立主義、と言う価値が、何故、唯一神を信奉する西洋の社会で生まれ、発育して、農耕生活を伝統にする極東、特に、日本列島に居住してきた民族の間に育たなかったかと言う問題である。

 絶対的な施政者の社会が有って、搾取の対象となった奴隷の生活が共存した時代を想定してみる。

 其れは奴隷達が施政者と対決すると言う形ではなく、共存を目的とした教訓が出来る必要性が有ったと言う見方をしてみる。

 ジュウデオ クリスチヤン モスレムが信仰するユダヤ教、キリスト教、イスラム教の中では、歴史的にはユダヤ教が最も古く、キリスト教もイスラム教もユダヤ教の分派である。因みにユダヤ教はもともと、狩猟牧畜を生業にする 騎馬民族(ノーマデック) から発祥している。

 家畜を放し飼いにする狩猟、牧畜の生活は、農耕生活と違って、土地に定着する事が出来ない。年中、四季の移り変わりと共に、家畜を追って、一族一党共々、家財をつんで移動する。生活に機動性が要求される事になる。土地をかついで移動できないから、農耕者の様な不動産の価値に疎い変わりに、唯一の財産である家畜を貴重にする事にかけては、ぼくら日本人の想像を上回る。犬猫を愛玩するのとは訳が違うのである。

 だから、ジュウデオ、クリスチャン、モスレムの口にする、比喩には、終始、羊を人に喩える事が多い。日本では人と畜生をはっきり区別する事に、其の教えが成立するのだから、今一つピンとこない事がある。例えば其の教えを携わる人を、牧師と訳さなければならなかった事を見ても分かる。羊は財産である。羊を民に喩えるならば、其の所有者が神である。

 ユダヤ教の伝統的な習慣にサーかムシジョンがある。日本語には「割礼」と訳されているが、字面から推測しようとしても何の事か分かり用が無い言葉である。正直な話、ぼくはサンフランシスコのある大学病院で生まれた息子が、其の手術を受けたのを、実際に目に見るまでは良く分かっていなかった。

 第一次世界大戦における前線の経験から、アメリカでは、サーカムシジョンが男性の衛生保全に良いと言う説が有り、病院ではユダヤ人に限らず、サーカムシジョンの手術を出生直後、一ヶ月以内に行う。もちろん必要な書類にサインして、新生児の両親が其の手術を拒否する事が出来る。しかし、其処が又ぼくの無知のなす所で、女房がユダヤ系なのだからと、二つ返事でOK してしまった。

 生まれてきた男児のオチンチンの包皮を切り取ると言う行いは、「イレズミ」と言う例外を除いて、人間の体に手を加えると言う習慣の無い日本人には惨い有り様である。もっとも日本には草木の根を切り取って、育てる「ボンサイ」と言う文化がある。大自然を自分の所有物として愛玩する芸術である。

 サーカムシジョンは人間をある特定のものの所有物にするに当たっての、一種の刻印では無かったのではないだろうか。例えば貴方が今ネコを一匹飼っているとする。隣近所に住む何十匹のネコと区別するには、貴方のネコの片耳の先をちょん切っておけば、一目瞭然である筈である。サーカムシジョンはだから、奴隷にされた人間をある特定のエリートから判別する為、或は他のエリートの奴隷と自分の所有するものとを区別する為の識別だったかもしれない。又、アメリカ映画を持ち出して申し訳ないが、カーボーイ映画で御存知の、何百頭もいる牛を、自分の所有物である事を刻印するに当たって、焼いた鉄で自分の頭文字植え込むのと同じである。

 今ここに、人を家畜の様に飼い、労働の原動力として、行使する文化が有ったとする。必要に応じてはこれを商品として売買する経済が成り立つ。近代の例として、アメリカ南部の奴隷制度が有るのだから、何も古代にさかのぼらなくても良いのだが、旧約の成立を考慮に入れて、仮に紀元前、五、六千年頃の事とする。

 事情はそれぞれ、歴史的、地域的事情によって様々であった事であろうが、其の家畜として扱われた人たち(或は民族)は彼らの飼主と契約を交わし、其の私有財産となる事が合法的に許された。

 すべての奴隷に、一週一度の休暇が支給されたかどうかはしらないが、私有財産なのだから、ぼくらが想像する以上に、大切に飼育された筈である。現在でも、自分の牛馬を酷使する飼主は、特殊な例外を除いて無いのと同じである。

 しかし、其処は「人」と「奴隷」との違いである。自由人としての「人格」と「権利」は皆無であっただろう。

 仮にユダヤ教によって呼称される、絶対唯一の神が、実は奴隷を使役する飼主のイメージを投影する「神格」だったと想定する。旧約が成立する前提には、人を神の奴隷(又は僕べ)として教育すると言う考え方が出来ていた次第である。

 アメリカ南部の例の様に、一方が白人、他が黒人と言う一目瞭然として、其の違いが分かる場合は別として、其の相違のハッキリしな場合はイレズミの様に、体に何か加工して、奴隷としての刻印を打つと言う可能性が有ったと思う。サーカムシジョンとは実に其の一例ではなかったかと考える次第である。

 ジュウデオ、クリスチャン、モスレムの精神生活を伝統的に送ってきた西洋人は、自由が生活の究極の目的になる事を直感的に習得していたから、ルネッサンス、産業革命、フランスに始まる政治革命等々を経験した時点にて、古代ギリシャにて構想は出来ていた、デモクラテカと言う政治的概念を改装して、デモクラシー(民主主義)の体系を作り上げる事が出来た。

 日本人はつぃ手を出してツマミ食いはしてみたものの、本当の味が分かってしまうと、案外、口に合わないものだったのではなかろうか。

 

  「山道を登りながら、かう考えた。

  知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」

 

 中学時代に暗記させられた、「草枕」の冒頭の一節である。

 第三章にて述べたとうり、日本人は日本人が規定した、人の心の世界を信仰する。此れも繰り返しになるが、規定された心は、生身の人と違う。漱石はひとのこころを、知、情、意地に分類して考察。生身の人間が、其の心を浄化すると言う(信仰的)求道の道が如何に険しく、苦しいものであるかと言う体験をする。

 「草枕」では、其の(心の安住)の世界は、詩的、或は芸術的に浄化され、美化された心ではないかと仮定する。「非人情」とはそういう意味だろう。

 此処で断っておくが、明治、大正文学をかじった他の文学青年の例に洩れず、ぼくは確かに漱石を貪り読んだが、文学評論の対象として、「夏目漱石」を語る資格も、力量も有るとは思っていない。ましてや、漱石の其の仮定が、正しいかどうかと言う是非を述べる勇気などある筈が無い。

 此処に漱石を取り上げたのは、「人の世を造ったものは神でもなければ鬼でもない」とはっきり言いきる漱石を、人の世を作ったのは神であると言う前提のある西洋人の人の観念と比較させてもらう為である。

 文例にしたがって、先ず「知」から始める。西洋の場合、其れは人の RATIONAL な、おこないを統制する心の働きと考えるから、「知」は日本人の意味する知性(INTELLIGENCE)の他に、自我(EGO) の存在を支える倫理的役割も果たしている。

 成る程、「知」に働けば角が立つ事は有るが、知覚は自我を擁護する為のものであるから、角を立てられた人の方が悪いのであって、角を立てた本人が、其れを苦にすると言う心の働きはあまり無い。と言う事は、西洋人の考える人格には、日本人の「情」と言う心の働きを評価する考えが無いと言う事かもしれない。

 西洋人がHEART と言う言葉で表現する感覚がある。ハートは日本語でも心と訳されているが、日本人の「情」の感覚よりも能動的で自発的である。つまり、ハートもエゴの働きと共に作用し、人の為に尽くす行いでも自らの動機が有ってこそする事であるから、其の行いが無為に終わっても、恨は残らない。

 一方、「情」の方は他意も我意もない情感であるべきと考えられるが、繊細な配慮と義務感が伴うから、精神的な負担となり悔いを後に残す事もある。

 「棹をさした為に流された」と言う被害感が生まれる次第である。

 「意地をとうせば窮屈だ」と言う意地は、「我」(が)の事だろう。自我に就いては既に触れたが、個人主義を信奉する世界では、其の心の働きが主観を形成するもので、日本では漱石が言うとうり、自分の主観に固執すると、世間が狭くなり、窮屈になるが、主観を発言する機会と場が予約されてある個人主義の社会では、ルールさえ守る限り天下の公道を歩くようなものである。

 さて、個人主義を支える主観尊重の思想が、人間不信を説かざる得ないのは、SELF CONSCIOUSNESS という(日本語では自意識或は自覚と訳されている)自律作用の為だろう。

 漱石の言う「意地」の中に、この自覚も含まれているかどうかぼくには分からないが、自覚は本来、自我の中に有るものだと思う。例えば幼児の場合であるが、時と共に経験を経て自覚の意識が強くなり、それぞれ個人差は有るが、自覚が自我から隔離されて見える個人も表れてくるであろう。

 自覚は自我を律して自分の主観を正当化する役割を果たすが、日本人の場合は自覚とは人の目(或は世間の目)を意識する事で、肉親、師、友人或は本人の属する社会の倫理を持って自我を律する傾向が有るから、自律の自覚ではなく、他律の自覚だと言えないだろうか。

 昔、人並みに、(一時)、太宰治にカブレタ事が有った。今考えると、太宰の自意識は露出症的、自己宣伝的な自覚で、日本人が自意識過剰になると、どうしても太宰治になってしまう。

 すなはち、規律は自己の外に有るから、罪の(或は間違いの)意識は外に曝け出して、(裸になって)居座るような態度となる。日本人の告白癖や、何か失敗すると、あっさり非を認めて、謝る癖は案外こんな所に有るのかもしれない。

 一方、西洋人の方も自覚は社会の倫理を経験的に採用して、一般化した倫理を反映はしているが、あくまでも自律作用であるから、仮に間違いが有っても、自分の罪をそう簡単には口にせず、認めない。もちろん教会と言う例外の場では其の限りではなく、カトリック教における告白或は免罪符などが形式化されている。

 前章でも触れたが、アメリカ人が時々不遜に見えるのは其の為である。だから彼らは、事、間違いに関しては、無神経だと判断したら大変な誤解になる。自分の罪の意識に敏感であるからこそ、そして、其の間違いは徹底的に自己弁護するべきであると考えるからこそ、そう言う態度を示すのであって、他人の批判にはトコトン迄対決する。彼らが、自己弁明の機会を与えられない事を最も嫌うのは其の為である。

 だから、自分の罪を人に擦り付ける事はあっても、人の罪までかぶって、内閣総辞職なんて言う習慣は間違っても起こらない。

   

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